都会に住んでいるみなさん、自分が食べるものはスーパーやコンビニで調達するほかないと思っていませんか?
自給自足的な生活に興味はあるけれど、仕事は急にやめられないし、学校もあるし、そんな生半可な気持ちでは踏み切れない、ですよね。
そこで今回は、定期的に十日町市に通いながら自分で自分が食べるお米を育てる「通い農」を実践する星裕方さんにお話を伺いました。都会で仕事しながら農業なんてできるわけないと思っているあなたも、都市と里山の2拠点生活で自活する力を身に着けられるかもしれません!
自己紹介
はじめまして。十日町市移住コンシェルジュに学生インターンとして参加させていただいた、平岩日向(ひらいわ・ひなた)です。
新潟市出身で、大学進学を機に上京して3年目になりました。大学では、アメリカへ留学に行ったり、サークルで雑誌の制作に携わったりしています。
3年生になり、周りから「就活」という言葉が聞こえ始めてきて、ほんとうに自分はこのまま東京で何となく就職していいのかな、と日々思う中、以前から気になっていた十日町市で移住コンシェルジュのインターンがあることを聞きつけました。
十日町に住んでいる人、移住してくる人は「サラリーマン」という形に囚われない働き方をしたいと思っているに違いない!
そんなのびのびと生きている大人たちの話を聞いてみたいとぼんやり思いながら十日町にやってきました。そんな私を受け入れてくださった移住コンシェルジュの皆さんにはほんとうに感謝しています。
このインターンを通して、少しでも集落を盛り上げようと励む農家のおじいちゃんから、ニューヨークから十日町に移住して美術館を開くアーティストなど、ありがたいことに、さまざまな方からお話を伺う機会がありました。
その中から、この記事では十日町市の地域おこし協力隊として活動しながら、株式会社里山パブリックリレーションズの代表も務められている星裕方さんをご紹介したいと思います。
星裕方さん
東京都世田谷区出身の星さんは、世田谷区用賀を拠点に活動するNPO法人neomuraのメンバーとして活動していました。
そんな中、「『世田谷生まれ、松代育ち』世田谷マーマレード」の生みの親として活躍されている金野とよ子さんとの出会いをきっかけに、十日町市を訪れるようになったそうです。それから通い続けるうちに、十日町市の棚田や里山での暮らしに魅せられ、現在は「棚田のPRと、都市部と農村部の関係人口創出」を目標に「通い農」という新しい農の形を提唱し、十日町市地域おこし協力隊として活動しています。
今回は、通い農とは何か、そして、なぜ今、棚田(里山)で米作りなのか、お聞きしました。
「通い農」とは?
「通い農」とは?
星さんが提案する「通い農」とは、農村部と移住者「以外」の都心部の人のつながりを増やすことを目標に、都心に住みながらも、十日町市を定期的に訪れながら米作りに参加し、最終的に収穫したお米をもらうことができるという仕組みです。
「自分たちで育てたものを自分たちで食べる。通い農は、どれだけイベントに参加したかの活動量と投資額に応じて配当米量が決まる、いわゆるストックオプション制度のようなものです。参加者がそれぞれ「株主」のような形で農に取り組み、収穫時の収量を分け合うイメージです。そして、ゆくゆくは通い農を経験した人がフランチャイズのように独立し、広がっていけばいいなと思っています。」
今年は、十日町市の松代という地域にあった耕作放棄地の棚田2枚を復田し、「ヨ~イ!みんなの棚田」と名づけて通い農を実践した星さん。延べ100人の参加者と協力しながら、年6回の協働作業の機会を設け、最後は無事収穫することができたそう。
なぜ今、里山で米作りなのか
- このように、十日町市という縁もゆかりもなかったはずの土地で、「通い農」を実践する星さんですが、なぜ今、十日町という里山地域の棚田での稲作にこだわるのか、その理由を伺いました。
①2拠点スタイルで、予測不可能な未来に備える
- 「東京は充実した教育制度があり、職業機会にも恵まれていて、コンビニだってどこにでもある。ある意味ですごく便利かもしれない。
けれど、南海トラフ地震や首都直下地震が想定されていたり、AIが台頭してきたり、それから令和の米騒動でどれだけ食料の供給が地方に依存しているか顕在化されたりと、長期的な目線で見ると、東京はいつ何が起こってもおかしくない状態になってきています。
その他にも、都会の仕事は本来必要ない仕事のための仕事を量産し、その仕事がないと回らないようなルールやサービスを作っている状態で、ブルシットジョブであふれかえっていると感じることが増えました。」 - と話す星さん。
- 「人類はこんな仕事がなくても縄文時代から生きてきたのに、ほんとうにこのままでいいのか。一方で、米作りは、人間が争いや戦争を繰り返すなかでも3000年以上続いてきました。里山にもう一つ拠点をつくり、お互い助け合える構えを整えておけば、災害をはじめとした予測不能な実態が都市で起きたとき、ある程度のリスクヘッジになると思うんです。」
- 星さんは続けて、2つの拠点を持つことのメリットを話してくださいました。
- 「僕は、リンダ・グラットンの『LIFE SHIFT』という書籍で提示されていたポートフォリオ・ワーカーが、都市の仕事と里山の仕事の両方を持つことだと思います。つまり、完全な移住をしてほしいというよりは、2拠点を持つことのよさを知ってほしいのです。」
- ポートフォリオ・ワーカーとは、自分が今している仕事以外に自分の好きや特技を活かした仕事をポートフォリオ的に持っておくことで、突然今の仕事がなくなったときの別の生き方のルートを確保しておく、という概念なのだそう。
②グローバル経済に依存しない自活する力を身に着ける
- 私たちの生活は、グローバル経済に大きく依存しすぎていると話す星さん。海外からの輸入品に頼りすぎれば、国際市場の変動によって急な価格上昇や供給不足が生じ、私たちの日常生活が不安定になりやすくなってしまう。
最近では、原油価格の変動や世界的な物流の停滞の影響で、物価の上昇が続いていました。こうした変動に振り回されないようにするには、自分が生きていくために必要な物資資材は自分で手に入れる、もしくは作ることができるくらいの自活力を身に着ける必要がある、と星さんは話しています。
「実際一人当たりの年間米消費量は約50kgで、それに必要な田んぼの面積はテニスコート半面ほど。この大きさなら、自分で田んぼを始めるのに無理はないでしょう。だからこそ、まずは自分で田んぼ一枚をやってみることが第一歩だと考えています。」
③嘘のない人と人とのつながりが生まれる
- デジタル上では嘘か本当かわからない情報であふれかえる今、自然という嘘をつけない空間では、飾らない人間関係を作ることができる、と星さんはおっしゃっていました。
「農作業を共にしていると、『悪い噂ばかり聞いていたけど、意外と真面目じゃん』という風に、その人の人となりがよく見えてきます。デジタルの情報には左右されない付き合いや関係性が生まれる。
共に汗水を流した経験は嘘じゃないし、そこでの触れ合いを通して、インターネット上の記事や情報だけではわからないその人の人間性みたいなものが見えてくるという意味では、農は人と人をつなげる場でもあるんだと思います。」
今後の課題
- ここまでの話を振り返ってみると、たしかに2拠点生活で自活力を身に着ける通い農はとても魅力的です。しかし、やはり「たまに来て作業してまた東京に戻る、米作りはそんな甘いものではないのでは?」と疑問に思う人も多いかもしれません。
そこで、星さんに聞いてみると、確かに甘くはないが、移住しないとできないことではない、という答えが返ってきました。そのために、通い農をただの体験として終わらせるのではなく、どれだけ自分ごと化できるかが、来年以降の課題なんだそうです。
「まだ、通い農に参加した人々の感想は『楽しかった』だけで終わりがちですが、僕が通い農をする人に求めている意識は『今日の天気は大丈夫かな、雑草やばいな、代掻きしなきゃな』と、ふつうの農家さんと同じだけ悩み葛藤し、自分の畑を気にしてもらうことなんです。でも、この意識の差は移住しなくても埋めることはできると思っています。ほんとうに真剣に取り組めば通い農でもできるはずです。」
通い農では、田植えや収穫だけでなく、それまでの準備や維持管理作業も含め年6回イベントを実践することで、稲作の1年をより体感できるようにするなど、米作りを少しでも自分事として捉えてもらうための工夫がすでに始まっています。
「農業」と「農」
星さんによると、日本の稲作の生産量のうち、棚田のお米が占める割合はわずか8%であり、棚田がなくなったとしても、食糧生産にあまり影響はないそう。
では、棚田や里山の価値とは何なのでしょうか。それは農業ではない「農」とともにある生活を送ることができるという点に価値があるのではないかと、今回の取材を終えて感じました。
「戦争が始まっても、政治体制が変わっても、縄文時代からずっと変わらず人間が続けてきて、いまもなお無くなっていない仕事は『農』。
つまり、『農業』は産業であるのに対して、『農』は暮らしの一部であり文化でもある。経済がひっくり返っても文化は生き残ります。」
取材を終えて
取材前は、現在農業界が抱えている諸問題の打破策として通い農を取材するつもりでした。ですが、星さんのお話を伺ううちに、農業界の問題だけでなく「これから自分はどう生きたいのか、どう生きていくべきなのか」という生き方を考えさせられました。
私自身、これからしばらくは東京で暮らすことになると思うのですが、生活の延長線上にある仕事として農を捉え、自分が生きていくために必要な食料を自分で作るという、かつては当たり前だったけれど今となっては難しい農のある暮らしを、これからは少しずつでも実践していけたらなと思っています。